デスメタルな気持ち。

バッシャーン!とクラッシュシンバルが鳴り、次いでギターの爆音。
壊れるんじゃないかってほど強く叩かれてるタムとキック。
いわゆるメタル声で叫ぶように歌うボーカル。ハードな歌詞の内容は英語でよくわからないが「シャット
ファッカー!」とか「スラッシュユアリスト!」とか言っているのが聞こえたり「マーダー」「フィル
ス」「ミューティレイション」「キル」「デッド」「グレイブ」とかの単語が聞こえるくらい。
まだ学校で習わないようなものばかりだ。
俺はこのハードでコアなデスメタルを、一つ年上の兄貴の部屋にあるCDたちの中から見つけた。
そして聞いた瞬間背筋にビリビリと電流が走ったのだ。
以来俺はよく《やつら》のセリフや思考などを、他人に教えていい気になっていた。
いつもiPodに入れた《やつら》の曲を聞きながら高校に登校した。
ノリノリで登校してノリノリで下校するのだ。
音漏れなど気にせず、難聴覚悟の最大音量でいつも聞いている。
《やつら》の思想、思考はとんでもなくグロテスクで常人には理解できない。
俺だって完全には理解できてないが、なんだか理解したような気ですごしている。
ファッションを真似したりもした。
そしてその最たるは、やはり………リストカット!!
腕をカッターで軽く浅く切りつけて、そこから流れる血液を舌で舐めとってみたりした。
もちろん家族が寝静まったあと、自分の部屋でやった。
行為自体はそこまで痛くなかった。
カッターのさきっちょで引っかくようにして傷つけ、ミミズ腫れのような盛り上がりから血が滲む程度で、痛みもヒリヒリするくらいの微々たるもの。
その夜俺は憧れのリストカッターに、悩める若者の仲間入りを果たした。
事後に包帯を巻いて学校に行った時のみんなの顔が忘れられない。
冬服の長袖ブレザーを着ている俺の袖から、赤い血の滲んだ白い包帯がちらほら見えた時、触れていいのか迷うそぶりの同級生の顔を見て俺はひそかに優越感のようなものさえ感じていたのだ。
誇らしげな表情で一日を過ごし、俺は家に帰り風呂に入るために包帯を外す。
ペリペリっと情けない音を立てて包帯は取れた。
腕の傷はなんだかずいぶんとしょぼく見えた。
やっぱり浅かったよな、と思いながら俺は達成感と心残りが半々な気持ちで風呂につかった。
しみる、そしてピリピリした痛みで生きていることを実感。
この冬、俺はまだまだ馬鹿だったのだと二年生の夏に気付くことになる。

あの傷も跡形もなく消え去って、俺は新しいクラスで初夏を迎えた。
みんなが半袖のワイシャツを着て下敷きで顔をパタパタとあおぐ
暑さに参りそうな時も俺はハードでコアなデスメタルを愛でていた。
メタルの思想が脳を支配していた俺は、バイトして貯めた金でギターを買って練習していた。
そして文化祭で《やつら》のコピーバンドをやろうと思い、今有志を募っているところだ。
ギャイーンとギターを鳴らして俺は叫ぶように歌いたい。
そして舞台の上で俺はリストカットしてやり、観客の度肝を抜いてやる。
想像しただけで身震いする。
ある日俺はまた家でリストカットを前と同じカッターでやらかす。
今回だって浅い傷をいくつか付けて包帯を巻いて終わりという簡単なものだ。
痛みも少なくオールオーケー。
半袖に包帯だと親にバレるだろうから俺は家の外で包帯をすることにした。
家の中では、グラビアアイドルが際どいショットをやるときみたいに、うまく体を使い、家族の視界を遮って見えなくする。
リストバンドをしてごまかしたこともあった。
痒い痒い腕の傷と包帯を見せびらかすために学校では普通にしている。
みんなの注目の的だねこりゃ。
そんな折、俺は夏休みに入る前日に手紙で呼び出される。
無機質な文字だが、文面から察するに女子であろう。
ついに俺にも彼女と夏休みにエンジョイできる権利が与えられるのだろうか!?
そう思うと待ち合わせ場所の、屋上につながる扉の手前の踊り場まで自然早足になる。
着いた時にはもう一人の女子が待っていた。
ウチのクラスにいたような………あ!水無さんだ。眼鏡のおかげでかろうじて覚えていた。
いつも静かで、比較的目立たない娘だよな。
俺はあくまで親しげかつ紳士的に話しかける。
「用って何?」多少声がうわずるが気にしない。
俺の質問に水無さんは俯いて自分の爪さきあたり一点を見つめて動かない、喋らない。
俺は水無さんの「私……実は、あなたのことが………」を心待ちにしていたが、水無さんがまんをじして発した言葉は「リストカットは、もうやめて………」というものだった。
少し期待外れ感は否めないが、それは好意的にとれば、「あなたが傷つくのをもう見たくない」ともとれる。
俺は確認のため理由を尋ねる。
胸のドラムが激しいビートを刻み始める。
「リ、リストカットは遊びじゃないから」と答える水無さん。
なんだ本当にただリストカットをやめてほしいだけに聞こえる。
俺は話題を逸らしたくなった。
とても暑くて、このままじっとしているのが辛い。
夏でも長袖のブレザーに袖を通した水無さんの顔はそれでもまったく汗をかいていない。
ん?いくら馬鹿な俺でも気付く。
夏なのに長袖の少女が俺のリストカットをやめるように言うこのシチュエーション。
水無さんの腕に自然と視線が向かう。
「見たいの?」と水無さん。とても察しがいい。
俺はなんのこと?とシラを切ったが、水無さんは容赦なく着ていたブレザーを脱ぎ去り、ワイシャツの袖のボタンをプチプチと外して袖を捲くった。
何重も用心深く巻かれた包帯を慣れた手つきでほどき、腕を露出させる。
白くて細い腕にとてもとてもグロテスクな傷痕。
俺の淡いピンクの傷と違う、茶色く、灰色の混じった濃い色。
ところどころ深くえぐるような傷があり、そこからは今にも血が溢れてきそうだった。
俺が言葉を失い、頭の中で、ひたすらメタル声で歌う、《あいつら》を再生させていると、水無さんは呆然と立ち尽くした俺の腕をぐいと掴み、包帯をほどき始める。
軽く巻いていた俺の包帯はあっけなくほどけ、傷痕を水無さんに曝け出す。
さっきまでのデスメタルな気持ちが一気に萎えて、なんだか申し訳ない気持ちで一杯になった。
「私、家で虐待されてるの。それでたまにやっちゃうの。カッコつけのファッションとは違うのよ。とても痛いけど、心の痛みを和らげてくれる大事な行為なの」
そう言って腕の傷に愛おしそうにくちづけする水無さん。
「○○君はなんでやってるの?」
「生きていることが苦痛に感じて、かな」
「嘘でしょ?」
水無さんの懇願するようでいて力強い瞳に俺は気圧される。
「あ、うぅ。えーと、ファッション、みたいな感じに……なるのかな?」
バチンっ!
音高く俺は頬を叩かれ、本気で水無さんにビビる。
「あ、ぅぐ………ずず、ひく……うぅ」
泣き始めた。
これは端から見ると、女の子を酷い振り方をして泣かせた鬼畜にしか見えない。
俺はとりあえずそばを離れる。
というか冗談じゃない。
そのまま家まで逃げてしまう。
何だかとてつもない修羅場を経験したなぁ、俺。
リストカットはもうしまい、と心に誓った。

夏休みはそんな出来事も忘れるくらい遊んだ。
宿題だって完璧に写したしオールオーケーだ。
今も水無さんは家で親に虐待をされているのだろうか?
夏休みの折り返し地点に差し掛かった八月の中頃、俺はふと気になって名簿で調べた水無さんの家の電話
番号をプッシュしてみる。
「はい、水無です」電話には本人が出た。
「あ、水無さん?俺だよ俺。わかる?」「………もしかして○○君?」「そうだよ」「あ、うわ………びっくり」「どうしたの?」「いや、今から電話しようと思ってたから」「え、マジ!?俺もびっくりだよ。で、用件は何?」「あ、そっちがかけてきたんだし、そっちから言って………お願い」「たいした用件じゃないけど、いや、たいしたことなのかな?水無は元気にしてるかなぁ?とかさ」「あぁ………まだ虐待は続いてるよ。聞きたかったのはこれだよね?」「するどいなぁ。じゃあ次はそちらの番」「えーと、終業式の日にほっぺ叩いちゃってごめんなさい。それと私は今日死ぬから遺書を書いたの。二つ書いたうちの一つはあなたに向けてなの。だから読んでくれると。うれしいかな」「………死ぬって?」「そのままの意味。疲れたから死ぬの」
受話器ガシャーン!
俺は《あいつら》のお気に入りの曲を入れておいたiPodも持たずに自転車に飛び乗り、名簿に書かれた住所へと飛ばす。
まだ俺は直接水無さんに心に立てた誓いを教えてない。
とても強く反省したってことを伝えてない。
まだ死なれては困る!
標札に水無と書かれた一軒家に到着。
ドアには鍵はかかってない。
靴を脱ぎ捨て、ドカドカ入って行き、風呂場で浴槽に張ったお湯に腰まで浸かってる裸の水無さんを発見。
そしてその時、家で救急車を呼んでおけば助かったかも、と激しい後悔。
水無さんは瀕死で、どうひいき目に見ても助からなかった。
手に包丁が握られていて、首に突き刺してから引き抜いたと思われる傷がある。
そこからまだ血液がドクドク流れている。
お湯は水無さんの首から流れて肩から胸、腹へと伝い落ちる血で赤く染まり、あまりの噴出の激しさに壁にも少し血液が付着している。
それでもあまり風呂場が汚れていないのは、俯いて、お湯に血を流すそうとした水無さんの計画なのだろう。
俺は目をつむった水無さんに声をかけた。
「水無さん!俺だよ!」
すると眠たそうに目を開けて、こっちを見る。
ぱくぱくと口を動かすのだが声にならず、かわりに血がその口から溢れる。
「俺もう絶対に自分で自分を傷つけたりしないから!」
《あいつら》が伝えたい言葉を叫んで伝えるように、俺も叫んだ。
聞こえたのだろう、水無さんはにっこり笑って、それからまた瞼をゆっくりと下ろした。
首から流れる血も止まり、水無さんが死んでしまったことを俺に明確にさせる。
慌てていたのと、女の子の裸ということで遠慮して見ないようにしていたが、よ
く見ると水無さんの体にはあちこち生々しい傷痕があり、虐待の熾烈さを物語っていた。
タバコの火傷痕に、尖った物で刺された痕。
殴られたあざに切られた切り傷。
打たれた腫れまでも、温かいお湯に浸かったことで浮かび上がる。
俺は家に他の人がいないから勝手にリビングへと向かう。あった。
テーブルの上にきっちり二つ並べてあった。
俺は遺書を手に、早急に水無家を後にした。
あの場にいたら俺が殺したようにしか見えないからな。
17歳という若さで人が目の前で壮絶な死に方をしたというのに、こんなに冷静な
俺はどうかしてるだろうか?と思っていたら、家に着いて布団にくるまった途端に涙がブワっと溢れてきた。
俺の馬鹿な間違いを正してくれた水無さんが、あんな死に方をするのは間違ってるように思う。
でもやっぱり自分の死は自分で決定できるのが一番だよなぁ。
俺がとやかく言う問題ではない。
俺はあの血まみれの裸を思いだしブルブル震えながら、水無さんの最後のセリフを思い出す。
『忘れないでね』
一つ一つの口の形で、俺はそう言ったように判断する。
そして無機質な文字で書かれた遺書を読む。
『叩いてごめんなさい。私は死んじゃうけど忘れないでね』
短!しかもどっちも本人の口から聞いた、でもうれしい。
女の子からの始めての贈り物だ。
………始めての贈り物が遺書。
なんだか嬉しさ半分泣き半分ってところだな。
俺はヘッドフォンから流れる《彼ら》の声を始めてやかましく感じ、iPodの電源
をオフにする。そして俺は目をつぶって、そっと左手首に口付けた。
「絶対忘れないからな」