言葉の先端恐怖症「あんたら一体何様のつもりだ!!!」

先端恐怖症。
それは尖った物を向けられると恐いという心理状態が生まれること。
言葉の先端恐怖症。
尖った言葉に恐怖を覚えること。
人がキリやエンピツを持つことは普通だが、人が尖った言葉を発する時は、明らかにそこになんらかの意図がある。
人を傷つけようとか、自分の中の尖ったものを外に出して楽になろう、とか。
その言葉を我慢するどころか、発することに何も躊躇も遠慮も疑問も背徳も罪悪もない。
とりあえず、尖った言葉の代表と言えば、「馬鹿」「死ね」「殺す」「気持ち悪い」などの言葉たちだ。

「馬鹿」は頭の悪いことを嘲る罵倒。
「死ね」は死ぬことを促す命令。
「殺す」は死に至らしめるという宣告。
「気持ち悪い」は自分は相手より勝っているという宣言。

なんでもかんでも言葉を制限するというのはせせこましくてイヤだが、人が聞いてどう思うかを客観的に考えて配慮する心は絶対に必要。
弱々しいことを言うようだが、僕は「死ね」という言葉を使う人とは笑顔でおしゃべりできない。
自分に向けられるのはもちろんのこと、他人にそれを使うのも、恐い。

「馬鹿」「気持ち悪い」、もしかしたら影で自分も言われてるかも。
「死ね」「殺す」なんて大胆で無遠慮で恐いことを言うのだ。

言葉がキュっと尖って耳から脳を刺す。
痛い。
しかし、笑いながら「あいつ殺す」「死んだほうがいい」などと言う人は大勢いる。
テレビでもお笑い芸人が「死ね!」と突っ込んだりする。
今まで面白くて笑っていたのに、全て台無しである。

休み時間、教室で誰かが笑いながら「マジ死ねよ(笑)」「後で殺す(笑)」「うわ、お前気持ち悪い(笑)」「あいつ役立たずの馬鹿だよな(笑)」と言うのが耳に入ると、まるで自分が言われたような錯覚に陥る。
自分宛ての言葉でないのはもちろん分かっている時でさえ、恐い人と一緒の空間にいるというのが震えるほどに恐怖を与える。


内側に尖った物を溜め込んで、外に出さなければいつか内側から突き破る。
僕は文字にして外に出す。
いろんな人が軽軽しく口から外に出すそれらを耳にしない日があると、その日は幸せな日だったと嬉しく思いながら寝ることができます。