獣は可憐だ

 今回の日記の元ネタは少し難しいかもしれません。
 前々回は自分でもめっちゃくだらないと思ってるw



 舞城王太郎さんの小説『みんな元気。』の「我が家のトトロ」を読んで、が飼いたくなった。

 友達が「生まれた時からいる」と言って飼っている猫は、奔放に室内を右往左往していて、部屋の一部というか、部屋に欠かせない存在となっていました。 そこまで激烈に可愛いわけではないのですが、その、オタクたちを二段ベッドの冗談から見下ろして、時に「邪魔」とでも言いたげに目の前を横切るその「部屋の主」的なポジションがなんともいい味を出してるなぁと思います。
 といっても、僕は飼うなら犬がいいなと常々思っているので(猫派なのに)、たぶん飼うことは一生無いんだろうなぁ。高架下とかにいる、誰かに餌付けされた野良猫を眺めたり、通学路の途中の飼い猫とにらめっこをするくらいがちょうどいいのでしょう。


センター試験の志願書を提出してから帰宅。
まだ三時の室内。
電灯が消えかかっていてちかちかする。目が痛い。
砂糖抜きのカフェオレを飲みながらビデオに録画しておいたモヤモヤさまぁ~ずを見た。
渋谷のディスクユニオンで買ったエイフェックス・ツインのPV集みたいなビデオも見る。
昨日は16時に寝て、21時に夕飯のために起きて、それからまた今朝の6時まで寝た。
なのに授業中も少し寝てしまった。 よくないよくない。
寝すぎだ、よくないよくない。 
よくないよくない。



 誕生日と気候の話題が嫌いだけど、今日は気が向いたので気候について触れます。

 「最近寒くなったよね~」なんて、少し前まで「暑い」以外に喋られなかった人たちが一斉に言い出すようになりました。実際、今朝は神奈川県もすごく寒かったので、僕は長袖のセーターみたいなものを着て学校に行きました。僕は制服と合わせるセーターを持っていないので、もちろん私服です。あと、カーディガンなるものの名前は知っていましたが、それがどういう物なのか最近わかりました。あの長袖で、前にボタンがついている貧弱なあれです。僕は何故かカーディガンが嫌いです。ポケットがついていて、着脱が簡単で、軽くてとてもいい物なのですが、着らず嫌いです。理由はわからないのですが、あえて脳味噌をほじくってみると、たぶん嫌いな奴が大抵カーディガンを羽織っているから自然に嫌ってるんだと思います。嫌いなやつとは、すなわち誕生日に女子の友達とかから祝われたり、「暑い」「寒い」「眠い」「勉強した?」を連呼する奴です。 



昨日はこのブログがランダムブログにヒットした。
夕飯を食べた後、寝る前に携帯電話でチェックしてみると、126人訪問していた。
コメントはその時点で0だった。
126人がスルー。
ちょっと傷ついて寝て、今朝はお茶漬けを食べてシャワーを浴びて茶を飲んで登校した。


 欲望の話。

 中学生の時は、「欲望に忠実に生きる」というのに憧れていた。自分らしく! みたいな奴。女性向け雑誌のつり革広告風に言うと、「本当のワタシをアピール! ギャップでモテろ!」みたいな感じ? 後半が余計です。でも、最近町田康さんの歌やエッセイなどを読み、「人間らしく」ということをよく考えるようになりました。「人間らしく」というのは、「動物」のように欲望で生きるのではなく、理性で行動する生き方だと思います。たしか森鴎外がそんな小説を書いていたような気がします。詳しくは知らないですが。
 父親が食欲旺盛で、人が何かを食べていると「何それ?」と近寄ってきて、「一口ちょうだい」や「食いたい食いたい」と言うのです。ずっとうっとおしいぐらいに思っていたのですが、段々とエスカレートしていって、最近では夜中にも関わらず、起きだしてきて「腹減った」「梨食いたい」と言うのを見聞きした時は、ボケてきてるのでは!? と本気で思うくらいになりました。でも元々、テレビで見せ場の直前にCMに入った時に怒ったり、漫才のボケに本気で「んなことあるわけないじゃん」とツッコんだり、かと思えば単純な顔芸などで笑ったり、車がタバコ臭いから嫌だと言ったら「仕方ないだろ」と言ったり子供っぽいところが数々あり、しかも「子供っぽいところ直さなきゃなぁ」と自覚もあるそうなので、一安心です。
 こんな父親を見てそだったからかは知りませんが、僕は親に何かお願いするということが少ないです。何かを欲しがる(欲望をむき出しにする)ことを恥じる心があるのでしょう。「買って買って」とデパートの玩具売り場で駄々をこねる子供なんかは、本当に自分の子供時代とは正反対だなと思います。今も、そんな遠慮勝ちな性格なので、親にお金が必要な時にお願いしたりするのが苦手だったりします。向こうからくれるのなら、安心して受け取れるのですが、こっちから要求するというのが実に精神的にしんどい。逆に、人に自分が何かを要求するされるのが好きです。役に立った、という感じがするからです。なので、自分に何もお願いをせずに、受身でいる人は苦手かもしれません。
 そんなことを考えた結果、自分の欲望を少し表出させて、人に「お願い」することを覚えました。相手にお願いをして仕事や感謝の気持ちを与えるのです。もちろん自分がそういうのが好きだからといって、他人も必ずそうというわけではないので、こちらのお願いに対して面倒くさがったり嫌がったりする人には極力そういうことはしません。
 欲望を自在に抑えたり出したり、何だか僕の中の「人間らしさ」というのは訓練された犬みたいだなぁと思いました。僕がもし犬だったら、飼い主を喜ばせることに関してはピカイチかもしれません。




女の子のブログやメールによく見かけられる、自分の最後に『(死ね 』とか『(ぉ』とか『←』とかいうのは何なんでしょう。
保険でしょうか?
一種の謙譲表現のように思ってるのでしょうか?
親しい感じは出るのですが、なんだか自分を大切にしてない感じがして嫌です。
あと『w』を文末につけないと文章書けない人。
これは友達にいたので理由を聞くと、「つけないと堅苦しい感じがして落ち着かない」そうです。
まぁ納得。


東京近代美術館というところで、「エモーショナルドローイング」という展覧会がやっているみたいなので、明日は休日なので見に行きたいと思います。(ワードで書くと校正の波線がつく文章)



今日はパソコンが使えたので、ここぞとばかりに頭に浮かんだことから順に書き散らしました。
脈絡がないし、時系列も整ってない日記と独り言。
全部読んだ人、尊敬します。
パソコン画面に写った小さな文字の横書き文章を読むのは目に負担かかりますからね。
僕なら諦めるかもw