毒薬の使い道(※微グロ)


「愛しています」
校舎裏で自分の好みの顔の女子から告げられた。
高校生という若い肉体がぎゅうぎゅうに押し込められた学校の中で、彼女は僕を選んでくれた。
僕もまんざらでもない感じがした。
こういう、手紙で呼び出して面と向かって――というレトリックな方法が、とても胸に響いた。
控えめなスカートの長さに、何色にも染めていない黒髪。
着崩していない紺のブレザー。
首元に、学校指定のエンジ色のリボンをしている。
真面目な子なんだなという第一印象。
「僕でよければ」と言って手を差し伸べると、握手の代わりに贈り物があった。
「毒です」
香水用みたいな小さくて緑色の瓶。
「毒薬です」
それを彼女は毒薬という。
「私があなたの御機嫌を損なうようなことがあれば――」
僕は一歩下がる。
「躊躇いなく飲み干しますので、どうぞ」
僕は言われるがままに受け取ってしまった。
夏の新緑のように力強い緑色を見つめていると、彼女は去っていってしまった。


クラスに彼女がやってきた。
その手には弁当の箱が。
「ご一緒してもよろしいですか?」
断るわけが無く、僕は空いている席を指差して座らせた。
嬉しそうに腰掛けて、箱を開ける彼女。
僕も三時限目が終わった後に購買で買っておいたメロンパンを袋から出す。
「パン、ですか?」
「そう」
「あまり健康によろしくないですよ?」
少し、苛ついた。
「ねえ、Tさん?」便宜上、彼女をTと呼ぶ。
「何ですか、Nさん?」そして僕のことはNと。
鞄からタオルに包まれた緑の小瓶を取り出し、Tが食べていた弁当の白米の部分に一滴落とす。
「お弁当、美味しい?」
「え……!?」
「お弁当、美味しい?」
「……は、はい」
「そう」
僕はメロンパンを一口齧る。
甘味が口に広がる中、さらに苺牛乳を流し込む。
甘味を十分に堪能しながら、僕はTをじっと見ている。
少しも目を逸らさずに。
やがて、Tは弁当を食べるのを再開した。
沈黙が気まずいのか、Tは僕に話し掛けてくる。
僕は全て無視する。
何を話していたかなんてのは覚えていない。
弁当を食べ終わる頃、Tは大量の汗を額に浮かべて、教室を飛び出した。
飛び出したと言っても、その歩みは震えていてすごく慎重だった。


「トイレにでも行ってたの?」
放課後、一緒に帰ることになった。
Tと。
「……はい」
「どうしたの?」
「いえ、少し気持ち悪くて」
「それで?」
「ええと……」
「トイレに行ってどうしたのさ?」
「吐き……ました…」
「ゲロをかい!?」
思いっきり驚いた振りをしてやった。
注視しなければ見逃すだろう小ささで、彼女は頷いた。
「女の子でもやっぱりゲロくらい吐くよなぁ、人間だし。でも驚いたな、Tさんみたいな可愛い女の子がゲロ吐くところなんて想像もできないよ。何だか驚いちゃうなぁ、どっきりしちゃうなぁ」
「……すいません」
俯いたまま静かに謝るT。
「いやぁ、Tさんゲロするの誰かに見られた? わけないか、個室だもんね。でも音は聞かれたんじゃない? ゲロゲロ~ってのとビチャビチャ~ってのが女子トイレ中に響き渡ったことだろうね」
「もうやめて」
「うん?」
「……もう…やめて………ください」
彼女は泣いていた。
僕はまた苛ついた。
「Tさん、まだ僕のこと愛してるの?」
「…はい」
「じゃあ何も言わずに目を瞑って上向いて口開けて」
素直に目を瞑って上向いて口開けるT。
「もうちょい大きく」
ぱっかり開かれた赤茶のねばっこい口の中、その舌の上にきちんと一滴垂らしてやる。
「もういいよ、ありがと」
彼女は何も言わない。
僕の家の前まで付いて来た。
彼女はさよならと言った瞬間に嘔吐した。
だがもう吐くものがあまりないのか、少量の胃液が滴っただけだった。
げえげえ言いながら、苦しそうに喘ぐT。
酸っぱい匂いが風にのって僕の鼻腔にまで届き、不快になる。
「困るよTさん、人ん家の前で……」
「……ごめんなさい」
咳き込みながら、小さくそれだけ告げる彼女。
僕と目を合わせようとしない。
「ちゃんと目を見て謝ってよ」
「ごめんなさい」
「声小さくない?」
「……ごめんなさい!」
僕はそれを聞くと、扉を開けて家に上がった。
そして、リビングにある箱ティッシュ一箱を持って外に出る。
「あ、ちゃんと残ってたね、偉い偉い」
そして玄関から彼女の足元に箱ティッシュを放り投げてやる。
「全部拭き取っといてね」
そう言い残して僕は扉を閉めた。


それから毎日、懲りずにTは僕のクラスに弁当箱をぶら下げてやって来る。
その笑顔が、食事が終わるころには毒ですっかり汗まみれの青い顔になっている。
放課後、帰宅中に公園やCDショップに寄ったりした。
そこでも彼女はげえげえ吐いた。
その度に口の周りを汚い汁で汚して、にちゃにちゃ音を立てながら「ごめんなさい」と謝るのだった。
駅前でパフェを食べてから電車に乗った時は、車内で毒を飲んでもらった。
甘い匂いのゲロを車内にぶちまけた彼女を置いて、僕は途中で下車したのだが。
教室で一滴、放課後に一滴、Tはほぼ毎日毒を飲んでいた。
やがて、昼食の時に毒を一滴垂らしても効果がなくなってきた。
今度は二滴にしてやり、それにも慣れてくると、次は倍の四滴。
放課後だって同じようにやった。
ぽたぽたぽたぽた―――。
そうやって垂らした毒薬入りの弁当を、いつも幸せそうに食べている。
「何かいいことでもあったの?」
いつもそんな顔をしているのに、わざとらしく聞く。
愛する人と一緒にいることが嬉しくて、つい笑っちゃう。そんな感じですね」
本当に心の底から嬉しそうに笑う。
そして、ふうんと相槌を打ちながら彼女の弁当に、もう二滴ほど垂らす。
彼女はあまり汗をかいていない。
それでも、放課後に問いただすと、トイレでゲロを吐いていることを告白した。
同級生に心配されているそうだが、持病だから仕様が無い、もう慣れたと言ってごまかしているらしい。
いつも通り、僕の家の前までやってくるT。
さよならと言って立ち去ろうとする彼女。
途中で立ち寄った公園で、薬の中身を全て彼女に飲み干させたのだが、どうもないようだ。
「あの、お薬の予備を……」そう言って、同じ緑の瓶を渡してくれる。
僕はもう一つの空き瓶を彼女に渡す。
その時に彼女の手を取って引き寄せ、Tの唇に軽く自分の唇を触れさせた。
顔を赤くしてうな垂れるT。
僕は帰ろうとするが、強烈に血管が収縮するのを感じて、その場に倒れそうになる。
何とか塀に手をついて踏みとどまったが、今度は胃がものすごい勢いで回転する感覚を味わった。
そして彼女の面前、僕は派手な水音を立てて嘔吐した。
彼女の唇から受け取った微量の毒は、凄まじい量のゲロを吐いてもその暴威を振るい続け、僕は気を失いそうになる。
彼女の声が遠くから聞こえる。
嘔吐を続ける僕の背に、彼女の手がそっと触れる。
その場に倒れこみそうな僕を、革靴が吐瀉物で汚れるのもお構いなしに支えてくれる。
波が少し治まり、ふらふらと歩いて家の前の階段にもたれるようにして座り込む。
彼女は僕の鞄から鍵を取り出すと、家に上がって水が注いであるコップとタオルとを持ってきてくれた。
僕は水を飲み干すと、またゲロを吐いた。
気持ち悪くて、頭の裏側に無数の『死』という文字が貼りついている。
「愛しています」と馬鹿のように連呼しているTは、タオルを取りに行った時に救急車も呼んでいたようで、タオルで路面を拭いている時に聞こえたサイレンの音の方へと走って向かい、やがて救急車を一台率いて戻ってきた。


Tは、僕が入院中に自殺した。
並大抵の毒じゃ動じなくなっていた彼女は、より強い毒を飲んで死んだ。
盛大に血を吐きながらの、壮絶な最期だったらしい。
僕の名前を叫びながら、飲み干した毒薬の空き瓶片手に教室で。
迷惑な奴。
退院した僕は、部屋で毎日Tのことを思い出しながら、あの日もらった予備の瓶を眺めている。
中身の毒薬の使い道を考えながら。