思い出の詳細

僕の記憶の層のほぼ最下層、僕はスイミングスクールに通っていた。
幼稚園のクラス単位で通っていて、たしか水曜日バスに乗ってスイミングスクールまで行くのだ。
バスの中でケロケロケロッピの目薬入れを持って「買ってもらったんよ」ってはしゃいでいたと思う。
そしてちょっと興奮していた僕は後ろの座席の女の子に話し掛けて、ちょっと何か言い合いになって、僕は爪の先のささくれを剥がされてしまった。
すごく痛かったけど、妙に落ち着いて「血、血が出とん、ほら」とか言って面長の友達に見せたと思う。
プールサイドにはバナナが植えられたやたら大きな植木鉢が置いてあった。
温水プールで、室内も暖かだから育つのだろう、実がなっていた。
「プールサイドでは走らないで下さい」という看板を読んでみせた。
インストラクターの先生が「まっち君漢字読めるの? すごいね」と褒めてくれた。
でも、僕は「下さい」を本当は「したさい」と発音したかったのだ。
下を「くだ」と読むのが変だと思ったから。
そこで僕はクロールの泳ぎ方をマスターした。
すると、スイミングキャップに鯨のキャラクターが刺繍された小さな円形のフェルトを縫ってつけてくれた。
それが三級合格の証だったってのを覚えている。
プールでの泳ぎが終わると、みんなでサウナに入る。
僕はそれが嫌いだった。
男の子も女の子も関係なく裸になってサウナに入るのだ。
タオルを持っていたので、いつも恥ずかしそうに下半身をしっかりと覆っていた。
大人は子供が男女とも裸でいるのに平気なのだろうが、僕にはそれが信じられなかった。
幼稚園の部屋で母のお迎えを待っている時に、ストックされていたビデオをみんなで見ていた。
いつも繰り返し同じものを見るので、ライオンキングの映画は20回くらい見たかもしれない。
僕はその時に童話をアニメにしたビデオで、女の人の裸がチラと写るものがあって、それを極端に嫌っていた。
でも実は、本当は見てみたいのだけれどじっくり見るのは恥だ、と考えていてわざと大げさに嫌ってみせていただけかもしれない。

やがて小学生に入学した僕は、算数の授業で初めて引き算を習った時に、もの凄く疑問を感じた。
数字と数字がぶつかって、ぶつかられた前の数字がぶつかってきた数字分減るのだ。
公園に5人いて、2人帰ったら公園には何人残る? という問題を何度も考えた。
そして納得がいかなくて職員室にまで聞きにいって、数が数で減る理由をしつこく質問した。
先生は「そういう風な決まりだから、今はそうやって覚えてほしい」とかなり困って最終的にそう答えを出した。
僕は休み時間に、友達と広場の噴水に浮いていた蓮の葉を指で突っつきたかったから、それ以上は聞かなかった。

二年生くらいから、石に対して強烈な興味を持ち始めた。
と言っても、図鑑で宝石を見たりするのではなく、普通に落ちている形の珍しい石を愛でるというものだった。
それらを持ち帰って、父が使わなくなったウエストポーチに入れてコレクションした。
小さくて、すぐにどこかにいってしまいそうなものから、両手にずっしりと収まる大きさのものまであった。
日曜日には庭でそれらの石を洗ったり数えたりした。
僕は、何度水で濡らしてたわしで磨いても、次に洗った時に水がまた茶色く濁るのを不思議に思った。
そして、時々何でこの石を気に入ったのか自分でもわからない、というものがあったりした。
それでもそれを捨てたりはしないで、コレクションに加えたままにしていた。
アンモナイトの化石を水族館で買ってもらったことがある。
大事に思っていたのだが、友達が博物館で恐竜の牙を買ってもらったといっていたので、そっちのほうが欲しかった。
ある日クラスメイトが拾った、円盤のような形をした石が気に入って、その時にアンモナイトの化石と交換してもらった。

三年になった時に引越しをすることになった。
行き先は横浜。
僕は横浜で二年間すごした。
小学校六年の夏に東京に引っ越すことになった。
荷造りしている時に、石は捨てようと思った。
もう週に一度磨いたり眺めたりすることをやめていたし、何故それらに夢中だったのかも忘れた。
ただの石ころたちにしか見えなかった。
石が変わったわけがないのはわかっていた僕は、自分が変わってしまったことに強烈に気づいてしまった。
前とは違う自分がいまいるんだと思って、少し怖くなった。
石は空き地にごろごろとばら撒いた。
マンションの一階に(二階建てだけど)掃除用具をしまっていた倉庫があった。
そこに引越しの前の日にもう一度入った。
そこには、雨の日にすることがなくて探検に入った時見つけたエロ本が落ちていたから。
正確に言うとエロ漫画雑誌なのだが、初めて見つけてページを開いた時に、鼓動が異常に速く脈打ったのをよく覚えている。
そして倉庫の中で引越し前日にもう一回それを読んでみた。
倉庫の壁や天井はアスベストで覆われていて、その独特の匂いで鼻や目がつんとした。

電車でなんとか通えるようなので、僕は半年間電車で通学した。
そして次は東京で五年間過ごして、高校二年の夏、また同じ横浜の同じ市内に引っ越してきた。
もうそろそろ一年が経つ。