桜桃忌レポ

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どかーんと太宰の墓。
こんなものをブログに貼って大丈夫かどうか不安です。 抗議などがありましたらすぐに消します。






昨日、六月九日は桜桃忌、小説家太宰治(本名、津島修治)の遺体発見日であり、彼の誕生日でありました。
毎年この日になると、東京都三鷹市下連雀禅林寺にファンが集って彼に会いに来ます。
この「会う」という表現が違和感覚えないくらい、寺に近づくにつれて本当に生きている彼に顔を見せに行くような、そんな気分になって緊張しましたよ~。


一つ前の記事にも書きましたが、三鷹駅から徒歩で二十分くらいしたところに禅林寺はあります。
詳しいアクセスは、お寺の公式ホームページがあるのでそちらを参照してみてください。
到着して、霊園に移動すると、入り口にペラ紙にマジックペンで「日没になったらシャッターを下ろすので、それまでには外に出てください」といった趣旨のことが書いてありました。
僕が到着したのは六時で、一か月前だったらもうすぐ日が沈むくらいの時刻でしたが、なんとか一時間はお墓の前にいることができました。


時間も時間だったのですが、それでも彼のお墓の前には十人くらいの老若男女(まさにそんな感じでした)がたたずみ、ただ粛々と眺めていたり、黙祷をささげたり、お供え物を置いたりしてました。
人が去ると、また新しく人が、と、常に絶えず人が行き来しており、みながゆっくりとお墓の前で時間が経つのを惜しむようにしていました。









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花束や桜桃(サクランボ)がお供えされてました。
墓石の「太宰治」と彫られてある溝に埋め込まれていたり、パック詰めにされたものが置かれたりしてました。
彼がお酒とタバコが好きだったということで、そのお供えもけっこう多かったです。
ワンカップ発泡酒の缶が置かれ、タバコをお線香代わりに燃やしてから墓前に置かれていました。
中には、彼の好きだったゴールデンバットをお供えしている人もいました。

僕は、手持ちのタバコが、二種類あったので、それぞれをお供えしました。
それでも、少し吸ってからお供えしたので、拝んでいるときに心の中で「吸いかけですいません、これじゃまるで灰皿扱いですね」なんて謝ったりしました(笑)
他には「マイノリティーの人たちがもっと胸を張って歩けるような、そんな、人を勇気づける小説が書きたいです、どないでっしゃろ?」などとたわけたことを抜かしたりしつつも「お疲れ様でした」などとそれらしいことも心の中で伝えておきました。



制服姿の女子高生が、墓前で黙祷をしている姿はなんとも言えず美しかったです。
死んでからも若い女性に支持を受ける、なんだか彼の業を見た気がします。
彼女は、通学カバンからサクランボを取り出してお供えすると、向かい側のスペースにスカートが汚れるのも気にせずに座って、ぼんやりとお墓を十分ほど眺めてから帰って行きました。

もう一人印象的な人がいたので書きます。
片腕を包帯で吊っていたおばさんが、墓前に佇んでしばらくしてから涙を流したのです。
たまたまちらりと振り返ったときに涙がこぼれて頬を伝い、彼女はそれをさっと拭ってから足早にその場を後にしました。
う~む、太宰恐るべし。


全体的に女性ファンの数の方が多かったのですが、男性陣も僕のような若造から御老人といった年齢の方まで、幅広くその場にいました。



みなさん、けっこう写真をぱしゃぱしゃ撮っていて(一回撮影を頼まれました)、いいのかなーと思いつつ僕のおずおずと撮影しました。
やたら撮影をしているデジカメのおじさんが、「可哀想だからこっちも」と言って、はす向かいの森鴎外(本名、森林太郎)のお墓も撮影してました。
そちらには、中に入れないようにガードが施されてありました。
ちらりと見るくらいで、誰も相手してくれないので、草葉の陰から後輩を羨望のまなざしを注ぐ森鴎外が見えるようでした。
太宰は鴎外と目が合ってちょっとバツが悪くなり、始終居心地が悪そうでした。 な~んて。



日没までいたかったのですが、帰りが遅くなるとまずいので、七時過ぎに霊園を後にしました。
今日一日いろんな人が訪れていろんなことを思ったり言ったりしたでしょう。
お疲れ様でした、来年も頑張ってそこに居続けてください。 また行きますから。