3月11日の日記

二子玉川のスタジオへサークルの練習へ。
数曲の練習が終わり、次の曲を少しやったところで地震
スタジオに残る人と、外に飛び出て避難する人と。
とりあえず揺れが治まったところでスタジオの中に入り、みんなで情報を集めながら待機。
練習は中止になり、夜になって学校が滞在禁止になってからはファミリーレストランにみんなで移動。
自転車や徒歩で先に帰った人も。

ファミレスでしばらく待機してると、電車が今夜中には動かないという情報が入ったので、歩いて駒沢まで移動。
大通り沿いはどこも人で溢れていて、ざわついた人ごみの中をみんなで移動。

国道246号線沿いはもう耐えることなく人、人、人で、ヘルメットを被った人、寒くて震えながら歩く人、少しわくわくしている人、電話を片手に家族に電話をかける人、脇道にそれてパートナーをいたわる人、部屋着で外の様子を見に来た人、ペットを連れた人、ジョギングウェアで手ぶらの人、自転車に乗った人、キックボードに乗る人、作業着で点検をしている人、タクシーやバス乗り場の列に並ぶ人、コンビニのトイレの列に並ぶ人、様々な、実に様々な人が往来に溢れてました。
普段は建物の中にいる人たち、こんなにもたくさんの人が東京には住んでいたんだと実感。
移動中は、電池の節約と回線の混雑を避けるために携帯電話はメールチェックと時刻確認以外には使用を控えました。


駒沢に着いたのは十時過ぎくらいだったはず。
天下一品で夕食を摂ってから、スーパーでお酒を買って駒沢の浦辺宅へ。
そこでゲームしたりテレビ見たりして待機。

電車はとっくに動いていたのですが、朝まで起きてみんなで喋ってました。
四時過ぎの電車に乗って帰宅。
家の近くは人がそれほどおらず、比較的落ち着いた空気でした。
部屋にたどり着いて、けいおんのりっちゃんのフィギュアが倒れてるのを直し、CDラックが少し散らかってるのを軽く整頓してからパソコンでツイッターをチェック。
いろんなことが書かれてる中に、福島の新波小説団の人たちが僕に呼び掛けるツイートがあり、自分の安全を書きこむことを忘れてたのに気付きました。
急いでみんなにわかる形で無事を伝えて、それから夕方のバイトのために眠りました。


途中、携帯電話に緊急エリアメールが届いて、おどろおどろしい着信音で起こされましたが、それからは昼過ぎまでぐっすり眠れました。
余震などがあったらどうしようかと思ってましたが、軽く揺れる程度なら昨夜嫌というほど味わったので慣れてました。

食事を摂ってからバイトへ。
バイトは地震があってから停電になって、昨日は閉店していたらしいです。
もう通常通りの営業を再開していましたが、材料の不足のせいでドーナツがかなり少なかったです。
それでも、お客さんはたくさん来てくれたので、それなりに忙しい日でした。

じっと立っていると、地面が揺れているような錯覚に陥ることが何度かありました。
体が揺れを覚えているだけでたぶん実際には揺れてないはずなのに、地面が柔らかくなって足がゆらゆらするような変な感覚がありました。
バイト中に、関東に降る雨に有害物質が含まれているから気をつけてという情報を年上の女性店員さんから聞きましたが、後で調べたらデマ情報ということが発覚。
こういうときになんという情報を流すんだと思いましたが(その女性に対してではなくて)逆にこういうときに情報を疑って調べ直す冷静さが残っている自分にちょっと安心もしました。

バイトの休憩中にもツイッターでいろんな情報が流れてきました。
ツイッターミクシィも、回線を拡張したかなんかしてすいすい見られるようになってました。
友人知人の安否の確認にも使えるし、最新のニュースが活字で読めるし、けっこう役に立ちました。

福島のみんなは無事だということがわかり、ほっとしました。
東京の知人も連絡がついた人はみんな無事でした。
11日は非常に寒い日でしたので、歩いて移動した人も足止めをくらって外で待機してた人も、とりあえず体調には注意してほしいです。
緊張せずに、休息をとれる人は余計な力を抜いて休憩してほしいと思います。