「コメンテーターの名無しさん、一言どうぞ」

嫌いなものを発信しつづける人というのをネットでよく見ます。
これはそういう人に対してのちょっち残酷な事実と、そして素朴な疑問。

最近にはじまったことではないけど、テレビのニュースを見たネットの声としてこんなものをよくみる。
いわく「いつまでもマスコミは〇〇の話ばかり、これじゃあテレビなんて見たくなくなる」というもの。
一人ひとりが、ネットにこの「〇〇はうんざりだ」という意見を書くことで、それを目にした人は思い出します。
「あ、まだ〇〇って話題になってるんだ」ということを。
たとえとしてわかりやすくテレビを出しましたが、それに限らないです。

この何気ない一言が皮肉にも、あなたがうんざりしているはずの「〇〇」の寿命を延ばす結果になっていると僕は思っています。
その話題に触れることによって、誰かの消えかかった記憶に水がやられ根が張られます。
つまりは「〇〇」の流行に貢献しているのです。

コメンテーターの名無しさん、今日も鋭い切り口で〇〇を一刀両断、ますます今後の〇〇の動向が気になりますね。



さて、黙殺は流行の鎮火に効果的でしょうか。
そもそもすべての人が俯いて見て見ぬふりをする、耳を貸さないということはありえるでしょうか。
大ネタに飛びついて衆目を浴びることに快感を覚える人も少なくないので、それは難しそうです。
でも、あなたが「〇〇」の話題を駆逐したいなら、あなただけでも徹底的に黙るのもひとつの手でしょう。
あなたが「〇〇嫌いで有名な人」になることで、〇〇の宣伝塔になるのを不名誉に感じるなら。
わざとフーリガンのふりをして流行を広げるのが目的ならそれでもいいのですが。

素朴な疑問。
「自分が嫌いな、あるいはうんざりしている事柄について耳をつんざく宣伝をしてしまっている人はそれに気付いているのか」です。
僕はある事柄に対しての俯瞰も嘲笑も嫌悪も、頭数のひとつ(傍から見れば同じ穴のムジナ)だと思っています。
楽しい大喜利に水を差す気持ちはないのですが、僕はあなたが好きなものよりも嫌っているものの方をよりよく知ってしまっていることが少し悲しい。