儀式誕生日

わたしは誕生日が嫌いだ。自分のも他人のも。普段あまり親しくないのに、おめでとうを言わなければいけないというのは、とてもムカムカする。もちろん逆も然りだ。「あれ?誰だっけ?」ってな人から「○○さん今日誕生日でしょ?おめでと!」なんて言われるのはたまったもんじゃない。教室のど真ん中でハッピーバースデーを歌ってる連中はとても楽しそうだ。そして、「ディア○○」の○○の奴もまんざらではないといった風にはにかむ。「親愛なる」なんてのを知らない人に言われても、平気な顔でへらへらしていられるなんて信じられない。

でも、やはりわたしも女子高生という職業をやっていると、いやでもこの儀式めいたものへの参加を余儀なくされる。自己紹介カードと称された、カワイイラシイデザインのその市販されているカードに、誕生日含めいろいろと書いちゃったからだ。誕生日が近づいてくけば近づくほど、嫌な気持ちも溜まってくる。「誕生日プレゼント何がほしい?あたしぬいぐるみならゲーセンで取れるよぉ」「わたし、あんまり興味ないかな。何か安いものでいいよ。お菓子とか全然」なんて会話しなくてはいけないのは本当に苦痛だ。

一番辛かったのはやはり部活での誕生日。あれに勝る誕生日はまだ味わっていない。あまり親しくない人の誕生日が近づいてきたある日「本人には絶対秘密のメール」という題名のメールが届いた。中身はこうだ。「来たる5月17日は○○先輩の誕生日です!3年生は今年で卒業なので、みんなで祝ってあげましょうv一週間後にみんなで誕生日プレゼントを選びに渋谷に行きます。各自でどんなものがいいか考えてきてください。それでは、いい誕生日会にしましょう☆」返信「わかった。考えておくよ。」我ながら暗い返信だったな。用事を捏造してサボればよかったと今は思う。メールが回ってきてまず思ったのは、○○先輩って誰だ?だったのだ。そんな人の誕生日を祝うためのプレゼントを選びに行くなんて嫌だな、と思いながらも、わたしは律儀に当日渋谷のディズニーストアに出向き(またメールがきて、プレゼント選びはそこになったという旨が伝えられた)ぬいぐるみをいくつか選び、そして会計の割り勘にもきちんとお金を払った。7人で行ったので、4500円のぬいぐるみも一人640円程度ですんだ。しかし、自分のものじゃないものに払う、人間関係的ものに払うお金としては、多少不服だ。先輩は、部活が終わってからの誕生日会を喜んでくれた。プレゼントのぬいぐるみも、カワイイと言ってうれしそうに持って帰った。ハッピーバースデーをみんなが歌ってるのを先輩がニコニコした顔で聞いていたとき、わたしはひたすら目が合わないように祈っていた。とても目がつまらなそうにしていたかもしれない。その日の思い出はわたしの脳の中から抹消したい思い出だった。

どこのクラスにもいる、まったくグループに属さずに一人か、少数の友達と固まっている、良く言えば大人しい、悪く言えば暗い女子は、ウチのクラスにもいた。半端な気持ちで、その場の成り行きで仲良くしようかと試みた人もいるけど、大体失敗に終わってる。1年をその子と同じクラスで過ごしたが、その子がハッピーバースデーを歌われる日はついになかった。単純に、長期休暇の間に誕生日があったと考えるのが妥当だが、よく考えれば誰も誕生日を知らない。わたしだって、文化祭の準備の時に一言二言話したくらいで、まったくその子のことがわからない。けれど、露骨なシカトより、最初から無いもののように扱われるのは、辛いと思う。憐れみで話しかけるのもいやだが、こういう人に自然に接することが出来ないのはやはり人として恥ずかしく思う。「今日あの子と喋っちゃった」「うそ!?どんな声だったぁ?」なんて話題にしかのぼらない人なんて、なんだかその子には悪いが不憫で涙が流れそうだ。その子はその子でちゃんと楽しく学園生活が送れているのかもしれないじゃないか。地元の友達にちゃんとハッピーバースデーを歌われているかもしれないじゃないか。わたしはそう思いこみ、彼女に話しかけるのをずっと避けていた。その時は違うと思っていたが、やはり今思えば避けていたのだろう。

わたしはいろんな人に彼女の誕生日を聞きまくった。そして、予想していたとおり誰も知らなかった。誰一人、彼女が生まれた日にちを知らなかったのだ。それはとても恐ろしく感じられた。クラスの中心に祭られて、ハッピーバースデーを歌われるのは、とても苦痛で、放っておいてほしいものだが、誰からも何もその日言われないのはどんな気分なのだろう。わたしは勝手に胸が苦しくなった。彼女の誕生日は、先生に聞いた。2年になって、また同じクラスになった彼女、同じクラスなら担任に聞けば不審ではないだろう。先生は大抵の個人情報なら書類という形で保有しているのだ。聞いたらすぐに教えてくれた。彼女の誕生日は……………わたしと同じ日だった。

10月31日がわたしと彼女の誕生日だ。そう思うと、いつもとその日に対する気持ちが違ってくる。なんだかむず痒いような、ほわほわするような、そんな感じだ。そしてその日は少しずつ近づいていった。今も誰かわたしとは喋ったことのないような後輩とかにまで、私には秘密のメールなんかが届いているのかと思うと、少し嫌な気持ちにもなった。そしてその日はやってきた。毎年のように、ハッピーバースデーを休み時間の教室でみんなに歌われ、愛想笑いを浮かべるわたしにプレゼントが渡される。その場で感想(本音と建前ともいう)を述べ、次の授業が始まるチャイムが鳴ってすぐ席に着く。あぁ、誰もあの子におめでとうの一言もなかった。わたしはハッピーバースデーを歌われている時にチラリと彼女を見てみた。いつも通り文庫本に目を落としていて、まるで興味がなさそうだった。

教室に忘れ物をしたわたしは部活が終わってから教室に戻った。いつもその時間は誰もいないのに、今日は違った。彼女が一人机の中をゴゾゴソといじっていた。彼女も忘れ物だったのだ。化粧もしていない彼女の地味な感じの顔が、窓から差し込む西日で横から照らされていた。長いまつ毛がわたしに彼女の横顔をキレイだな、と思わせた。今までじっくり見たことのない顔だったが、割りと整っている顔ではないか。彼女は探し物を諦め、教室から出て行こうとしてわたしの存在に気付いた。目が合ったが、あちらは何も言わずに通り過ぎようとした。

「あ、○○さん誕生日おめでとう」

唐突に言ってしまった。何の脈絡もなく、彼女を逃がさんとするように、ぴしゃりと言い放つように。わたしは彼女に言ってしまった。彼女はとても驚いた表情を作ったが(思ったより表情の変化はわかりやすかった)その時はわたしが一番驚いていたと思う。えと、どうしたいんだわたしは、彼女の誕生日を知った時点でもう満足したじゃないか。誰にも(それが社交辞令や嘘や憐れみであっても)祝ってもらえなかった彼女にわたしは可哀想とでも思ってしまったのか?とにかく、わたしは次の言葉を発しようとするが、二の句が継げない。「ありがとう。○○さん」内心であたふたしていたわたしに、彼女から感謝の言葉が返ってきた。場をもたせようと「え、えと、わたしと同じ誕生日だったんだね、先生に聞いたら教えてくれたんだ」と聞かれてもいないことまでべらべらとしゃべるわたし。自己嫌悪で押しつぶされそう。でも彼女はもう一度ありがとうとわたしに言って、「○○さんもおめでとう」と言う。驚いた時とは間逆の、目を細めた心底うれしそうな笑みを顔にたたえていて、その表情と夕日がとてもマッチしていて、わたしは一瞬ドキリとして、呼吸ができなくて口をパクパクさせ無音で喘ぐ。それじゃ、と言って彼女は肩まで伸ばした髪を翻し、教室を後にした。わたしは一人教室に残された。きっと、夕日で照らされたわたしの顔は今、とっても間抜けだったことだろう。

わたしはわけもわからず涙を流していた。
夕日で真っ赤に染まった教室にわたしは一人。