希望の医師

私の息子は天才少年でした。
幼年の頃から頭が良いと評判で、大層親戚にも町の人にも可愛がられていたものです。
しかし、小学生に上がってそろそろ1年になろうという時、表通りを歩いているところを車で撥ねられてからというもの、息子はすっかり気がふれてしまったのです。
町の人たちはそれこそ手のひらを返したように、息子と疎遠になろうとしたのでございます。
ああ、息子を誇りに感じて鼻の高かった私どもは、誰よりもそのことを悲しんだものです。
皆さんは、自分の子供に息子のことを気違いだからと教えて、近寄らせないようにしていました。
初めから息子が狂っていたかのように、行動の一つ一つを逐一からかったり詰ったりするのでございます。
息子は部屋での読書や勉学といった教養豊かな日課を放棄し、ほぼ毎日のように往来を涎撒き撒き走るのです。
ある時は夏の昼下がり、田んぼに飛び込み農家からきつい折檻を受け、ある時は晩飯中の他人宅へふうらり立ち入り、意味のわからない妄言を吐き散らしました。
皆さんに息子を気違い少年と呼ばれることが悲しくてやりきれなくなった私どもは、遠い町の有名な精神科医を訪ねることにしました。
お医者様は、まだ若くて青年と言うのに相応しいお方でした。
それでいてとても若年を感じさせない落ち着いた所作で、息子の話す言葉にも一つ一つ相槌を打ってくれるのです。
ゆっくりと滅裂な言葉たちを拾い集め、整理して理解してくれるお医者様のことを、息子はすっかり気に入ってしまいました。
週に一回お医者様の所へ行くのが楽しみでならないといった様子で、その日が来ると始終にこにことしているのです。
医院で、お医者様が痴呆の老人やうひどい憂鬱の患者に対して、平等に優しくお話をしてやり、解決法をじっくりと考えてやり、次に来た同じ人が少しばかり快方へ向かっているのを見て、息子は心の奥で驚きを感じているようでした。
息子は、お医者様に診てもらうようになってしばらくして、家の外をあまり出歩かなくなりました。
部屋の中で一人遊びを始めるようになったのです。
遠めに見てみると、たしかに大学ノートに向かってちびた鉛筆を肥後守で削りながら走らせていたと存じます。
そしてその文字で埋まったのであろうノートを見ながら、なにやら独り言をぼそりぼそりと漏らすのです。
それは声色まで使われていて、一人で複数の人間を演じているように私には思えました。
私は気になりました。
気違いと呼ばれる息子が、一体何を感じて何を創作しているのか。
私は息子が寝静まるのを待ち、真夜中に息子のノートを盗み見ることにしたのです。
いやはや、鼓動が早まるのを何とか落ち着かせ、居間でノートを開きました。
するとどうでしょう、そこには拙いながらも、びっしりと文字が書かれていて、その構成はよく推敲されたものだったのです。
私も妻も驚きました。
息子がこれほどの長編を一人で創作していたとは。
お話の中で、主人公のお医者様はとて頭脳明晰、快活な人柄であり、どこか妖しい人ならざるものの魅惑を湛えていました。
これがカリスマというものでしょうか、お医者様は不思議な聞いたこともない病気に罹患してしまった人々に妙案を授けて、解決へと導くのです。
なるほど、息子はお医者様と、そこに訪ねてくる患者とを一人二役で演じていたようです。
合点のいった私は、面白いアイデアとユーモアにすっかり魅了され、息子先生の一読者として、次回作を心待ちにするのが毎日の日課となりました。
やあ今回も驚いた、一杯食ったなあとやっているうちに、私はあることを思いつきました。
それは息子の創作を、世間に公表しようという試みでした。
実行するは容易いことでした。
毎晩息子が寝入ってから、私と妻の二人でノートの写しをしたのです。
どんどんと紙が文字で埋まっていき、それでも息子の方が書くのが早いようで、ノートは増え続けていきました。
いよいよ出版会社へと持ち込もうという時、まだ息子は精神科医へ通わせていました。
そして人々からもまだ気違いと呼ばれて忌み嫌われていました。
しかし、編集さんなどが息子の創作を推してくれて、本を何とか出版するところまで漕ぎ着けることができました。
そのときに、編集さんからこのように言われました。
「この本はあなた方が著わした創作ということにして、息子さんには黙っていてください。気違いの少年がこんなものを書いたなんて知られたら、文芸界の秩序がひっくり返ってしまいます」
私は、驚きと悲しみで心に衝撃を受けましたが、それでも出版してくれるのでしたら、とその案を飲みました。
それから本が出版されると、巷でもそれを読む人が現れ、この本の作者は天才じゃあないかしらと誉めそやしました。
「希望の医師」と銘を打たれたその本は多くの人に読まれ、新鮮な感動を与えました。
息子はその事実を知りません。
それでも、私たちは、今再び天才と呼ばれることとなった我が子のことが嬉しくてたまらないのでございます。
現実で気違いと罵られた息子は、それからも文章の力で天才の名を借り、数百篇の物語を綴る運びとなりました。