妊娠202ヶ月の愛情 1

 四月生まれの俺は、高校に入学してすぐ誕生日を迎える。高校に入学したら、これを期にある習慣をやめよう、と思っていた。
 しかし、入学しても習慣はずるずると続き、誕生日がきたらやめよう、と問題の解決を先延ばしにした。その誕生日ももうすぐだ。俺が生まれた日、そして俺が変わらなくてはいけない日、誕生日に俺は一大決心をして行動しなくてはいけない。

 人は何歳まで異性の親と風呂に入るものだろうか? 俺は全く基準がわからなかった、だから中学に入っても母親と風呂に入っていた。全くそのことに関しておかしいと思っていなかったのだが、周りが声変わりをし、陰毛の生えたのを体育の着替えのときに自慢したり、そういう成長を見たとき、俺はなんだかそれが汚いような気がしたものだ。母親と風呂に入るとき、母親の陰部にみっしりと生えた陰毛は、神聖な雰囲気をたたえていて、男子連中が笑いながら披露するそれの持つ、野蛮な匂いがしなかった。
 俺は自分の声が太くなり、そして用を足すときに下腹部からちょろちょろと毛が生えてくるのがたまらなく嫌だった。母親と風呂に入るとき、それを見られるのが嫌だったから、俺はトイレで剃刀を使って毛を剃った。声はどうしようもないので、これはあきらめたのだが、見た目だけは抗いたかった。しかし、陸上部に入部して、毎日十何キロも走りこんでいた俺の脚部は、しっかりと筋肉をつけ、余計なものがそぎ落とされた上半身も細身でありながら、硬く引き締まって頼り気があった。
 小学生の間はずっと無邪気に入浴していられたが、中学になってから体の変化が著しく、俺は少しずつこの習慣に違和感を感じていた。だが母親に言うことがはばかられ、言うに言えず、そのままずるずると今日までやってきた。俺の誕生日が近い。

 誕生日はすぐにやってきた。俺は父親と母親と三人で食卓を囲み、母親の作ったちらし寿司を食べた。食後はレアチーズケーキを紅茶と一緒に食べた。雰囲気は良かった。テレビから流れる全ての音が心地よく耳に入った。俺は父親に聞かれるのが嫌だったので、父親が風呂に入っているとき、リビングで母親に言った。

「ママ、あのさ」
「なに、マモル」
「僕、今日から風呂は一人で入ろうと思うんだけど」
「……そう」
「い、いいかな?」
「……さびしいわね」
「ごめんね」

 母親は翳(かげ)りのある横顔をして、それでも了解してくれた。俺はこのおかしい習慣から逃れられ
る、はずだった。しかし、父親が風呂を出た後、俺が脱衣所で服を脱ぎ、いつもより広く感じる湯船に浸かっているいると、脱衣所に母親が現れた。そしてなにやら逡巡し、それでも服を脱いで、こちらに入ってきた。

「ごめんね、これで最後にするから、ね?」

 俺はこれに対してノーと言うべきだった。しかしここで俺は母親の入浴を許してしまった。
 この日あたりから俺の家族はおかしくなっていく。





 
 俺は高校に入り、陸上部をよして、帰宅部になって高橋とつるむようになった。鬱陶しいやつで、よく俺を盛り場へと連れて行った。俺は他校の生徒との些細な言いあいにカッとなり、そいつを殴り飛ばしてしまった。俺はすぐに驚くほどの早さで冷静さを取り戻した。そして高橋に合図を出して、二人で走ってその場を後にした。その事件はすぐに終わるだろうと思ったのだが、俺が手を出した相手が悪かった。悪い奴らのグループのまとめ役だったらしい田宮という男、そいつは俺のことを調べて、学校の近くに友人などを配置させ、俺を襲わせた。俺の心はいつでも冷えていた。おびえていた。しかし、相手がへらへらと余裕面をしているのを、アゴに拳、股間につま先、と素早く攻撃を与えて、一斉に焚きつけられた奴が向かってくるのをクラウチングスタートでぶっ飛んで低い位置から肩でタックルをかましたりする。相手は胃液を垂らしながら悶絶する。俺は馬鹿みたいにケンカが強かった。そうやって二人を倒した後に逃げようとする残り一人に、ジョギング程度に走って軽く追いつき、鞄からナイフを取り出したのを見て、俺は躊躇せずにワンツーを顔面にお見舞いしてノックアウトした。

 俺はそのことで、学年担当の教師全員にマークされることになった。俺は不良のレッテルを貼られることがたまらなく嫌で、たくさん勉強して、苦労して学年トップ10に入ったが、こんなには注目されなかった。無遅刻無欠席を目指して早寝早起きを心がけたが、一度不注意で寝坊して遅刻したら、とてもつもない剣幕でしかられた。教師の顔は、「この凶暴な生徒にちゃんと意見を言うことができ、かつ、従わせることができている俺という教師は、なんと素晴らしいのだろう、できたら尊敬のまなざしを向けてほしいよなぁ」というような、自己陶酔している顔だった。
 当然このことは親の耳にも入った。しかし母親も父親もそんなことは全く頓着せず、俺はちゃんと勉強しているしきちんと親と会話も成立させられる優秀な頭脳の持ち主だ、ということで許されていた。母親は学校側に即刻、今のような不平等な待遇をやめ、相手側の学校にもそれなりの対応をせよ、と申し立てるなどして俺をかばってくれた。父親は、俺のやりたいようにやればそれでいい、と言ってくれた。
 俺はそれからも、教師の言うことを破り、親の優しさを裏切るように、人を殴ったり蹴ったりした。もちろん全てあちらから仕掛けてきた理不尽な暴力を被らないように防衛しただけだった。死者は出ていない。加減はしているつもりだ。俺はほとんど怪我をしなかった。相手の中には、不登校になったやつは出たが、俺の周りでは全く影響はなかったはずだ。俺の暴力は決して関係ない人を巻き込まない。そのつもりで俺は日々、ワンツーを繰り出したり、びゅんびゅんキックを振り回したりしていた。