妊娠202ヶ月の愛情 2

 
 やがて俺はいろんな人から、恐れられるようになる。教師、旧友、クラスメイト、そして父親だ。
 教師やクラスメイトなどから、俺へのアクセスがなくなった。絶えず恐ろしく誇張された噂を聞いて、俺に対して完全に「さわらぬ神に祟りなし」状態に陥っているのだろう。そのことに関して、俺は全く危機感を抱かなかったが、しかし父親は違った。俺と顔を突き合わせることをしなくなり、どこかこそこそとしていた。一体なんでこうまでなってしまったのだろう。俺は一体何を間違ったのだろう。父親をこんな態度にさせてしまった自分が恨めしい。
 俺の体は、中学のときよりもまた少し大きくなった。今度は上半身にもしっかり筋肉がつき、しかし強靭な下半身に支えられたそれは、太っているようには見えず、細く引き締まっていて、俊敏に動いた。顔のつくりも、少し変わった。どこか幼さが減っていき、大人へと徐々に変わって行っている、その過渡期にある、どこか独特の色気が備わっていた。
 このころはよくもてた。特に年上に人気があり、俺は女の裸に興味があったので、ためしに何人かの女性とセックスを試みた。大学生、OL、洋服屋の店員、上級生、と来て、俺はどの女性にもどこか一歩引いたような感情でしか接することができていない自分に気づいた。
 一番初めの彼女、大学生の彼女と一緒にホテルでシャワーを浴びたとき、俺は湯船に湯に溜めて、彼女と一緒にせまい湯船に浸かってみた。しかし、そこで得られる感情は、愛情や安心感よりも、漠然としたぐらぐらの不安定感だった。何か自分が間違ったことをしているような感覚だ。俺は彼女に、母親とまだ風呂に入っていることを話した。高校のはじめ、これで最後だと言ったあとも、母親は水着を着るから、と言って俺と一緒に風呂に入りたがった。俺は押し切られて、そのまま一緒に風呂に入ることを続行することにした。俺は裸でいるようになるべくしているが、なるべくなら水着を着た方がいいのだろうか? 何が正解なのだろうか? こういうことをたしか彼女に言ったと思う。彼女は、真っ青になって、風呂からあがって体を拭いて、「二度と連絡してこないで」と言って部屋から出て行ってしまった。それ以来、俺は絶対にこのことを言わないようにする。人を信頼できなくなりそうだった。

 父親は、俺のことを恐れていた。男として完全に敗北したからだ。妻を奪われ(たぶん母親と父親はもう俺が母親の胎内に宿ってからはセックスをしていないだろう)体もずいぶんと自分より大きくなってしまい、ケンカも強くて学歴もしがない勤め人の自分よりも良い。男して完全な敗北。男は財力と学歴と性的能力に優劣をいちいち感じる生き物だ。それは経験から知っている。俺は財力は微妙だが、後半の二つはけっこう満ちている。父親は、そんな堂々としている俺が怖いらしい。
 だが、ただ俺に怖がるだけならよかったのだが、父親は母親に暴力的になって男らしさを取り戻す、ようになるかと思ったらそれはやらず、なんとうつ病になってしまったのだった。妻であるところの俺の母親はそのことをまず親戚たちに知られたくないと思ったのか、入院をさせたり会社を休ませたりなどの目立ったことはさせずに、父親を牽制的に扱うようになった。スケジュールを把握して、無理をさせないようにし、そして就寝時間を決めたり、食事なども決めた。まずはこういった場合、相手の言い分を聞いて、じっくりと対面してお互いの距離を縮めなくていけないと、俺は素人ながらに思ったのだが、母親のしたことは、父親を一方的に束縛して、「病気」がよくなりそうなことをとりあえず試す、程度のことをするだけだった。風邪を引いた子供ではないのだ、そんなことではなんにもならないだろう。父親のうつはどんどんと進行していった。



「ママ、僕、もう風呂は一人で入るよ」
「どうしたの?」
「……僕、いや、俺は、もう赤ん坊じゃないんだ。生まれてもう18年経つ」
「……うん」
「俺は今まで、この風呂に入ってるみたいに、ママのお腹の中に入りっぱなしだったように思う。俺は、ちゃんと生まれたい、そして生きていきたい。ママと俺は別の人間だ。俺、俺はもう母さんとの臍の緒を切らなくちゃいけないんだ」
「……え、え、じゃあママはこれからどうすればいいの」
「それは母さんが自分で考えることだよ、俺は今はこれまで考えてこなかった、自分のことについて、じっくり時間をかけて考えてみようと思うんだ」

 ある日、このままでは何もかもがおかしくなってぶっ壊れてしまうという予感がした俺は、母親に入浴中にこのように話した。そして、一人で風呂場を後にして、俺は寝た。起きた。学校に行ってしっかり学んで、俺は家に帰って母親の作った料理は食べたが、入浴は一人でさっさと済まし、そして本を読んで、寝て、そういう生活を繰り返した。

 俺は高橋と縁を切ることにした。あいつといると楽しいこともあったが、俺は煙草も酒もそれほど好きではない。不健康というのはよくないと思うのだ。そして、連続で女性と関係を持つこともやめた。本当に好きな人ができたら、その時に猛烈に恋愛をしようと決めたのだ。
 高橋とつるまず、地味に過ごすようになると、とたんに田宮の取り巻きから襲われることも少なくなった。受験期になると、教師はいちいち生徒にかまっていられなくなり、それどころか顔や名前を覚えるのが苦痛になっていたりするので、俺に対してのこれまでのピリピリしていた扱いというのもだんだん穏やかになっていった。そもそも、あまりにも俺が張り合いのない態度なので、疲れたのだろう。疑いが晴れたというより、俺はなんだか匙(さじ)を投げられたような気がした。
 俺は大学は院まで進み、臨床心理士になる道を選ぼうと思う。取り合えず俺は無駄に体力があり、そして無駄に頭がいいのだ。欲しいものがあったらとりあえず強く望めばそれは手に入る。そしてある程度知識を増やして、俺や、父親のように、そして湯船を羊水で満たす母親のように、壊れそうな、あるいは壊れている人の手助けをしたい、と本気、俺は、やばい、泣きそうだ、だが言うぞ、俺は、本気でそう、思っているんだ。やらねば。生まれるとき、母親も辛いが、胎児もつらいのだ。