小説『ちなみとちひろ』第一話

 友情と愛情の違いを考えた時、決定的に何が違うか、と聞かれたことがある。クラスメイトの女子と二人でファミレスに行ったときだ。そのとき、私は彼女の恋愛相談に乗っていたはずだ。私は性別かな、と答えた。でもそうしたら同性愛の人たちはどうなるのと聞かれて返事に窮した。まだ中学生だったその当時、私には女同士、男同士が付き合っている映像が浮かばなかったのだ。そういう世界がある、ということを知らなかったのだ。
 彼女はすぐに話題を変えた。どうやって彼氏をゲットするかについて悩んでいるそうだったが、それより私はクラスメイトの「ゲット」という言葉に引っ掛かりを覚えながら、友情と愛情の違いについて考えていた。答なんて出なかったし、時折寒気がするような空想をしてしまって気分が悪くなった。


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 女子高生のみなさん、授業中に人の視線を感じたことがあるだろうか。そして男子高校生のみなさん、女子というのは視線に敏感だ。第六感とでも言おうか、視線に熱量、質量を感じるのだ。男子はそれに気付かずに熱い視線を女子のお尻や胸に注ぐ。私たち女子高生はだいたいそれに気付いている。調子がいい子は、恰好いい男子からの視線は嬉しいから足を組みかえたりして脚線美をアピールしたりするが、クラスで目立たない、いわゆる影キャラくん(女子中学生くらいだとそれをインキャと呼んだりもするらしい)の前ではカバンを膝のところに持ってきて相手を睨んだりする。
 私も視線を感じることができる。授業中にいつも教室の端の方からねっとりと視線を送ってくる相手がいる。視線は体の奥に浸透して、そのまま沈殿し、溜まっていく。無遠慮、あけすけ、露骨な視線を感じる。相手の表情がはっきりと浮かぶ。目を微妙に細めて、嬉しそうに、うっとりと私の横顔を見つめているのだろう。窓から入り込む風が前髪を揺らして目にかかり、それを薬指でかきわけて真剣な表情をしているのだろう。

 
 高校というのは、大人とも子供ともつかない曖昧な年齢の人間がたくさん押し込められてぎゅうぎゅうの建物だ。私の高校には四百人弱の生徒が通っているそうだが、恐ろしいことに、そのみんながみんな、制服をちゃんと校則通り着ている。学校に通っている時はまだ大丈夫だが、休日に制服を着て街を歩く同い年の少女を見ると、私はとても恥ずかしくなる。何故って、脚はむき出しだし、胸元のリボンの赤は挑発的だ。何故、何故布を腰に短く巻きつけてひらひらさせながら歩いて平然としていられるのか、おかしい、いや、たぶん私が変なんだ、それはわかっている。街を、駅を、店を、いろいろなところをその危なっかしい格好で歩く少女たち、そしてその身には視線を浴び続けている。きっと彼女たちは自分たちへの夥(おびただ)しい視線を半ば楽しんでいる。じろじろ、ちらちら、じーっ、ねっとり絡みつくいやらしい視線を一身に受けて、どんな気持ちなのだろうか。私は授業がある日以外はいつもジーンズを穿いている。脚をむき出しにして外を歩くというのに、いまだ慣れない。
 別に視線恐怖症ではない。友達と普通に話す時、先生に質問をする時、いつも私は相手の目を見て話す。それでも、性的な、そして熱のこもった視線というのを体に浴びるのは好きになれない。視線を強く感じる女の子というのはみんなこんな感じなのだろうか。
 そんな私にとって、授業中、私に送られる視線、それだけは唯一の例外だった。相手の名前はちなみ。ちなみの視線には愛情が込められている。