小説『ちなみとちひろ』第八話

ファミレスから帰ると、居間でテレビを見ていた父親に叱られた。テレビではニュースが流れていた。殺人事件の詳細を伝える沈痛な面持ちのキャスターは、説教の場の空気に即していて心地が良かった。しかし、芸能ニュースの段になり、とある男性お笑い芸人がモデルの女性と結婚したと言って記者会見をしている映像はとても不愉快だった。彼の言葉の一つ一つがお茶らけていて、拳をぐっと握ってその呑気に耐えた。
「うるさいな」
 父親がテレビを消した。そして静かになった居間で正座した私と胡坐をかいた父親が向かい合い、また説教が続いた。私は俯きながらも、父親の指の毛やすね毛、だらしない腹や無精ひげを盗み見た。どれも汚そうだ。触ったら、私は指先から腐っていってしまいそうだ。綺麗なものが好きだ。こんな父親の汚い口から吐かれる言葉はだいたいが嘘だ。もっと恋愛詩のように可憐で綺麗な言葉で、そっと囁くそうに諭されたい。高原でワルツを踊りながら、耳元で「駄目だよ」と教育されたい。
 ここに至り、初めて私がファミレスでクラスメイトの足を引っ掛けた訳がわかった。一つ屋根の下で汚い男と二人きりの暮らしをしている自分に気づき、焦り、かつ、腹が立ったのだ。顔の整った、恋人を大切にする男をゲットしたい彼女に、私は腹が立ったのだ。私だってそんな人がそばにいてほしい。けど近くにいるのは、娘への接し方が下手な中年男だ。自分が設定した門限を守れない娘を足が痺れるまでねちねち叱る中年男だ。
私は無性に悔しくて悲しくて、説教されながら泣いた。泣けば済むと思うなと言われ、なおさら泣いた。


※ ※ ※


 晩秋になると、ちなみの好いていた紅葉たちは見事に散っていき、往来を歩いていると、住宅街の住民たちが竹ぼうきで落ち葉を掻き集める音をよく聞いた。外気は冷たくて、私はちなみのコートのポケットに冷えた手を突っ込んで、ちなみの手を握って温め合った。私たちは、父親のいないときの私の家でよく遊んだ。毛布を被って、素裸のお互いの若い肌を触り合い、弾力を確かめ、神経を通わせた。そこには深い安堵感が満ち満ちていて、私は眠りに入るようにうっとりとちなみの愛撫を受けた。ちなみの髪を撫でると、ほろりと指の隙間から滑っていき、うるおいのある毛先が指の付け根をくすぐる。ぬくもりのある首筋に温かい私の掌をそっとあてがうと、ちなみはくすぐったそうに身をよじり、とってもとってもいやらしい笑顔で私を見てくれた。
 教室で遠くから私を見ていたちなみは、今では毛布の中で一緒にくるまってまつ毛を触れ合うほどの距離まで接近していた。キスをして、ちょっと恥ずかしそうにしている私を、ちなみは並びの良い白い歯をちらりと見せてほほ笑む。ちなみが嬉しそうにしていて、私も嬉しい。ちなみの指は、その視線と同じように無遠慮だ。私の内部にするりともぐりこむと、私の入り口を丹念に調べ、そして内奥を緩慢にノックする。体育館裏のトイレでは生理中だったので拒否をしたが、今ではちなみがしたいと思ったときはいつでもしたいようにさせている。ちなみの指は長く、内臓までえぐり取ってしまいそうなほどずんずん侵入してくる。私が焦って、思わずあっあっと声を上げると、ドライバーのようにねじりながらゆっくり後退し、ほどよい位置に辿り着くと、今度はこっちがじれったくなるくらいじんわり動く。しかしそれがとても心地よくて、私は徐々に体の芯、軸のようなものに火がついていくのを感じ、じんわりと汗ばんでいくのだ。
 もう片方の手は私の背中にあてがわれていて、指の腹で浮き出た背骨をなぞったりする。たったそれだけの動きが、火のついている敏感な私には刺激的で、軽く体が反ってしまう。声が漏れそうで、それが恥ずかしくて自分の手で口を塞ぐのだが、ちなみに耳元でだめ、と囁かれてしまうと、私はそれに簡単に従ってしまう。
「可愛い声、聞かせて。手は私の首のとこにでも回してて」
「やだ、ちなみ悪乗りしないでよ」
「そんなつれないこと言って。寂しいな……。ほら、どう?」
 ちなみの指が、私の内壁をやんわりと掻く。私は思わず声が漏れてしまい、恥ずかしくて目をぎゅっとつぶってしまう。瞼にちなみがキスをして、それをからかう。意地の悪い笑顔だ。首筋に舌を這わせ、甘噛みをしてくる。私の背中にあてがわれていた手がするりと下って腰を撫でる。私は徐々に高みに上り詰めていく。

 すっかり汗をかいてしまった二人は、体が汗臭くなるのもお構いなしに、シャワーも浴びずに制服を着る。顔を見合わせて、共犯意識でちょっと罪悪感があり、ほほ笑む。そこがまたなんとも言えない嬉しさに満ち溢れている。二人の秘密であり、その秘密を共有していること、密接なつながりを持っていること、嬉しい嬉しい時間の共有。
 たいていは父親が帰ってくる前にちなみとはお別れすることにしている。私の父親にちなみを見られたくない。父親の下卑た視線に、ちなみをさらしておくことは耐えがたいのだ。私の綺麗なちなみ。暗闇の廃墟の中でも光り輝くちなみ。彼女を、私は独占していたいのだ。他の誰かの視線にさらしておくことは嫌だ。私の父親ならなおさら嫌だ。
 明日また学校で会おうね。またね。名残惜しいけど、じゃあね。ちなみとお別れして、私は部屋に一人だ。明日はちなみと何をしよう。もっと長い間繋がっていたいな。

 秋が過ぎた。冬の訪れとともに、ちなみに恋人ができた。彼氏ができた。