明るい娼婦計画(没バージョン)

 洋子さんには謎が多い。僕が洋子さんについて知っていることと言えば、スリーサイズくらいだろうか。B.79 W.61 H.68 で、身長は目算で158センチの洋子さんは、お世辞にもナイスバディではない。もっと、素朴なイメージだ。それでも洋子さんには有り余る人間的な魅力がある。洋子さんは娼婦で、僕は客だ。洋子さんと繋がるたびに、僕は洋子さんをもっと知りたくなる。

 昼は大学に通い、夜は週四日近所のファーストフード店でバイトをして、残りは詩を書いたり洋子さんに会ったりしている。これが僕のだいたいの情報だ。僕はバイトでそこそこの信頼を得ていて、多くの仕事を任されている。それはもう、まさに洋子さんに出会う資金を稼ぐために一心不乱に働いたおかげだ。洋子さんが僕を出世させた、というか、僕のエロ心が僕を成長させた。いや、エロ心と言っても、別に洋子さんにそんなこと以外を期待していないわけじゃない、それだったら別に他の女性をとっかえひっかえすることになると思うし……と、ここまで喋って、洋子さんは僕の唇に人差し指をそえる。
「喋りすぎよ」
「あ、ごめんなさい……」
「ピロートークくらはロマンチックにしたいな、学生さん」
「学生さんは嫌だな、名前で呼んでください」
「じゃあね、あだ名つけたげる……詩人だから修司くん」
「詩人だなんて、僕は寺山修司には遠く及びませんよ」
「いいの、私がこの仕事始めたのは彼の本に書いてた詩が原因なの。ああ、彼の詩じゃないけどね。女子高生が書いてた詩をね、本の中で紹介してたの。私が娼婦になったら、ってどんどん続いていく詩なんだけど、とっても可愛いのよ」
「私が娼婦になったら私がいままで買いためた本をみんな古本屋に売り払って、世界中で一番香りのよい石鹸を買おう、ってやつですよね」
「そうそう」
 ちなみに僕の隣で洋子さんは素っ裸だ。僕の部屋の小さなベッドで二人、裸で寝ていて、洋子さんは頭の後ろで組み、足をだらりと伸ばしてくつろいでいる。部屋の中は暑いので、裸で扇風機の風に当たりながらこうしているのが楽なのだ。
「それはそうと、洋子さん何か飲む?」
「修司のお任せで」
「恥ずかしいな」
「慣れなさいよ、これからずっとあなたは修司」
「洋子さんが言うならその通りだ」
 あした市役所に行って、名前を変えることが可能か相談しようかな……いや、授業あるしなぁ……やめとくか。
「あ、今市役所に行って名前変えようかな、って考えたでしょ?」
「え、なんでですか? そんなわけ……」
 冷蔵庫から麦茶を取り出しながら僕は慌ててしまう。
「わかっちゃうんだな。女はね、百人の男と寝ると、人の心を読むことができるようになるんだ。男限定だけどね」
「はは……百人以上も僕に兄弟がいるんですね」
「ただ通り過ぎていったのもいるけど、あなたみたいにファンになってくれた人もいるわよ。その内会うことがあるかもね!」
 僕はプラスチック製の机の上に麦茶を注いだコップを置く。洋子さんがそれを飲みほしてカーッ!と言う。おっさんみたいだよそれ……。

 詩人なんて言っても、僕が書くのは心の中に浮かんだ言葉を断片的に結んでいくだけの詩で、誰かに見せるためのものではない。ただの趣味で、暇なときに書いているだけだ。初めて洋子さんを家に呼んだとき、洋子さんはそれを読んで面白いね、とだけ言ってくれた。洋子さんは余計なことを喋らないから、たぶんそれ以外の感想は浮かばなかったんだろう。
渋谷駅の隣、池尻大橋のハイツカサノヴァが僕の寝どこだ。ぼろぼろで大家は老婆で狭くて家賃が安い。親の仕送りの半分で家賃や諸費用を払い、あとは小遣いになる。そしてそれでもバイトをしているのは、洋子さんに会うためだ。洋子さんを抱くとき、まずは洋子さんに連絡を取らなくてはいけないのだが、これが大変だ。気まぐれな洋子さんと連絡がつくのは早くて半日後、遅くて一週間後。携帯電話にメールを送信して、その返信が来るのがそれくらいで、その後の予定は相手から一方的に告げられる。それが明日であろうと、一カ月後であろうと、僕はしたがって洋子さんの指定したように動く。
洋子さんはミストレスのような高慢な態度を取らない。娼婦です、という恰好をしないことで、隠れ蓑のようにしているのだろうが、それ以上に洋子さんの性格の朗らかさにそれがマッチしている。洋子さんはとても健康的で、娼婦でありながら煙草も酒もやらない。僕は煙草を吸うので、洋子さんが来る少なくとも三日前には部屋の換気をして匂いをしっかりと取る。洋子さんの前では絶対に煙草は吸わない。でも別に洋子さんは煙草が嫌いなわけじゃないらしい。ただ単に煙草が嫌いな人とキスするとき、相手が顔をしかめるのを見たくない、だけらしい。洋子さんはプロなので、そこらへんは徹底しているのだ。けどついうっかりお客さんとの食事で食べ過ぎて五キロ近く太った姿も見たことがある。
 洋子さんがどこに住んでいるのかは、僕は全く知らない。娼婦になったきっかけが詩人の言葉だというのも出まかせのような気がする。洋子さんは本や映画やなにやら、とりあえず芸術と呼ばれる一切にあまり興味がない。僕を修司と呼ぶのも気まぐれのような気がする。僕が洋子さんと公園でデートしているとき、洋子さんがアイスクリームで口の周りを汚しながらこう言ったことがある。
「一回、すごく有名な芸術家のお客さんに会ったことがあるの。誰かは内緒の内緒。でも、その人は芸術の話に全く興味のない私にすごく嬉しそうな顔してたわよ。私むずかしいことわっかんなーいんだもん。いやホント」
 洋子さんが言った言葉は全て矛盾がなく、僕は洋子さんが何かを演じているようには全く見えない。洋子さんは洋子さんで、ありのままの姿で毎回僕の前に存在しているっぽい。そしてそんな難しいことを洋子さんはわっかんなーいでやり過ごす。ううむ、恐るべし。

「娼婦ってのは一応売春であり、ビッチであり、犯罪であり、危険なことらしいね~。あやふやだけどたぶん合ってるよ」
 洋子さんは娼婦が罪なのを一応認識しているらしい。僕だって、洋子さんを知ったのは悪い友達にそそのかされてのことだ。ただ、そいつはバカなので洋子さんの魅力に気付かず、デブだのアホだのと言ってもう洋子さんに会う気はない。全くおろかだね、と本気で思う。
 洋子さんはそれでも娼婦を、人類の半分に夢を売る仕事だと思って頑張っている。エージェントのように、外国までさらっと行ってきて、富豪の操るクルーザーの上でシュリンプチップスを齧ったこともあるらしい。結婚を迫られたけれど、そこは「私は誰か一人のものにならない、お金を払ってひと時だけあなたの恋人になって、約束の時間が来たらまた誰かの隣に寝るの」と言ってまたさらっと帰国したらしい。
「お客の情報ってのは基本的に内緒にしておきたいんだけど、修司は友達いなさそうで誰にも言わなそうだから教えたげる、にしし」
「ひっどいな……」
 僕の家でテレビを見ながら洋子さんは教えてくれた。たしかに友達は少ないし、仮にも娼婦を買って家に泊まらせるような人間だし、まぁ友達が多い充実した生活を送っているわけはないだろう、洋子さんにだってそれくらいわかる。っていうか洋子さんは男の心を読めるんだから、僕が絶対に洋子さんのことを口外しないことくらいお見通しなんだろう。そして洋子さんと本当の恋人になりたいとか結婚したいとか、そういうことを言いだしそうなことだってお見通しなんだろう。僕は絶対に言わないけどね、洋子さんは娼婦、僕は客。お金で洋子さんを買って、その間だけ洋子さんは僕の女だ。時間が来たら洋子さんは僕の知らない人の隣で寝るだけ。