地球のお友達(下)

イメージ 1

 マチコちゃんの住んでいるのは、二階建てのアパートで、本当に歩いてすぐの場所だった。入り口がカンパチに面しているので、部屋の中でも車の通る音がひっきりなしに聞こえる。父親は留守のようで、ドアを開けると真っ暗な部屋の中が不気味だった。
 リビングに置いてある水槽の中には、グッピーらしき小魚が数匹泳いでいる。父親の趣味だろうか。酸素を循環させる機械がぶくぶくと音を立てている。キッチンは少し汚くて、食器のセンスが我が家では考えられないような無骨なもので、男の人の気配を感じさせる。換気扇の油汚れが私の心までもベタつかせる。狭くて、マチコちゃんには悪いけど息苦しい印象の部屋だ。家具に黒っぽいものが多いからだろうか。

「ごめんね、今座布団持ってくるから」

 寝室から座布団を持ってきてくれたマチコちゃん。とても嬉しそうな顔をしている。男子とヤっちゃったって言ってたけど、このアパートでしたのかな。あっちの部屋でしたのかな。

「ありがとう。ねぇ、マチコちゃん……」

 座布団をおしりの下に敷いて、私はついに話し始める。クラスメイトが今日話していたこと。それが本当かどうか私は知りたいということ。興味本位でどんどんと話を進めた。

「……うん、本当だよ。佳奈子ちゃんの家はお母さんは二人? 名字は?」

「ウチは二人。同級生で、36歳になるよ。名字は立原だったけな。みんな名前で呼び合ってて、学校で
もあんまり名字って使わないし、たまに忘れちゃいそうになるよ」

「立原佳奈子ちゃん、だね。私の彼氏はね、前沢っていうの。前沢ユウ君」

 話には聞いていたけど、やっぱりどこか中性的な名前だ。男が生まれた家庭では、将来性転換をする際に女性としてもやっていけるように、男でも女でも通用するような名前をつけるって、テレビで言ってた。最初から女性っぽい名前というのは、生まれながらに女性という証のようなもので、誇りを持っている人が多いということも。

「そっかぁ、ユウ君とのこと噂になってるんだ。あんまり学校に行かないのに、そういうことだけ目立っちゃうなんて……。ユウ君には会ったことある?」

「ないよ。同じ中学?」

「うん、三年生だよ。背が高くて、カッコいいんだ」

 驚きだ。今まで、背が高い男子というのは、ただ怖い存在でしかなかった。怖いし、ゴツゴツしてて女子からは必ずといっていいほど警戒されるタイプだ。

「……マチコちゃんは、本当に男子が好きなの?」

「もちろん。でも、佳奈子ちゃん、今は女子のこと好きになって、結婚して子供産むのも女の子同士っていうのが普通なんでしょ?」

「まぁ、普通……かな」

 マチコちゃんがこっちをじっと見据えている。

「その普通って、でもこの百年ちょっとでできた普通でしょ? 人間ってそれより前は男の人と女の人が愛し合うことの方がむしろ普通だったんでしょ?」

「そうは習ったけど……。日本で今、それをしてる人はとても少ないよね」

「だから、私のお父さんも親戚からいろいろ言われて、お母さんと別れなきゃいけなくなったんだよ……」

 マチコちゃんのように、男女で子供を産んだ家庭というのはこのような人生を歩まなくてはいけないのだろうか。

「私は……動物の本能がそんなにすぐに変わっちゃうとは思わない。みんな、本当は女子同士でくっつくのはおかしいとどこかで思いながらも、それが普通だからってそうしてるんだよ……」

 まいった。マチコちゃんはこんな話をするために私を家に呼んだのだろうか。彼女の視線はゆっくりと私の目から床へと移動して、そのまま動かなくなってしまった。

「ねぇ、佳奈子ちゃん。佳奈子ちゃんは好きな子いるの?」

「私はいないよ」

 いないよ、と答えてから思いを巡らせてみた。キレイな子、可愛い子、カッコいい子、面白い子、いろいろいるけど、私はどんな子と付き合いたいんだろう。たぶん、仲のいい子と自然とそうなるのだろうか。男子と付き合うことは想像できないけど、それなら自然な感じだと思った。

「ねぇ、その前沢って人、マチコちゃんといるときどんな感じなの?」

「すごく優しいよ。女子のほとんどが男子のことを無視するようにしてるから、とても私のこと大事にしてくれるよ。私の方からユウ君に付き合おうって言ったときも、すごく嬉しそうだった」

 私の中で、そうやって上位に立てるから男子と付き合ってるんじゃないか、という考えが浮かんだ。聞いたことがある。男子は女子に絶対優しいから、そうやってセックスだけ楽しんであとは捨てちゃう女の人がいるって。でも、マチコちゃんにはそれを言えない。もしマチコちゃんがそうだとしたら、私は彼女のことを絶対に嫌いになる。

「……マチコちゃん」

 私は彼女にぐいっと近づいて、手を握った。彼女の手が一瞬こわばるのを感じた。しかし、次の瞬間には彼女の方から私の方へ覆いかぶさってきた。

「佳奈子ちゃん、女の子同士でこんなことするの、本当はおかしいと思わない?」

「なんで? みんなやってることだよ」

「だって、子供を産むときは、病院で注射するんだよ? 子供も作れないのに、こうやって抱き合ったり――」

 マチコちゃんの手が私の腰へ周り、強く締めあげる。胸が圧迫されて息苦しい。

「そんでキスしたりあんなとこ、こんなとこで気持よくなっても、それは生物としてはなにも生み出さない、変な行為だと思うよ」

 マチコちゃんの顔が迫ってきて、私の胸はドキドキするかと思ったけど、どこか冷静さが残っていた。相手の顔を観察している自分に驚く。怖いことは怖いのだけど、どこかで安心している。
 マチコちゃんの唇に思い切ってキスをしてみる。マチコちゃんが飛びのいて、台所に走った。コップに水を注いで、それでうがいを始めた。口元を腕でごしごし擦ってひとしきり唸ったあと、落ち着いた彼女は私の前に坐りなおした。

「ごめんね、佳奈子ちゃん。今日会ったばっかりなのにこんな失礼なことして」

「いや、こっちこそ」

「私、やっぱりおかしいのかな? どうしても女の子を好きになれそうもないよ。ユウ君とのときは受け入れることができたのに……」

「本能はそんなに簡単に変わったりしないんでしょ? マチコちゃんはきっと――」

――男の人の遺伝子が濃く残ってる女の子だから、仕方のないことなんだよ。



 マチコちゃんはそのあと、内職の段ボールを見せてくれたり、好きな漫画の話なんかをしてくれた。さっきのことなんてなかったみたいに、明るくしてくれて、私もなんだか気が楽だった。
 家に帰ると、サエコさんが夕飯の準備をしていた。アイス溶けちゃったって言うと、サエコさんは不機嫌そうな顔をしたけど、でも実際はどうでもいいんだろうなってのが伝わるくらいあっさりと「も~」とだけ言って、料理の続きを始めた。 今日はマリエさんの帰りが遅くなるようで、二人分の素麺が鍋の中で茹でられていた。



 三年生に上がると、前沢ユウは無事に中学を卒業した。マチコちゃんは相変わらず欠席と早退が多いけど、二年生のときよりは卒業するためになんとか多く学校には来ているっぽい。『男子と付き合ってるという子』という彼女へのクラスの印象は、徐々に元の『不登校っぽいやつ』へと戻りつつあった。根本的に、女子は男子への関心が薄いのだ。
 マチコちゃんとはその後、何回か話したけど、私もクラスでの立場があるので、公に仲良くしている風にはしなかったはずだ。変な噂が立っていなければいいのだけれど。



 マチコちゃんに再び会ったのは、成人式後に開かれた同窓会だった。まだ卒業して五年んほどだけど、どこかみんな雰囲気が変わっている。その中に、マチコちゃんもいた。ずいぶんといい服を着ていて、昔のあか抜けない雰囲気とは別人のようだった。
 向こうの方からこちらに話しかけてきた。

「佳奈子ちゃん、久しぶり! 元気ぃ?」

「マチコちゃんこそ」

 居酒屋の長いテーブルの端っこの方で、私は彼女の隣に座った。料理がまだ来ないので、お通しをつまみながらマチコちゃんの話を聞く。初めて会った時もそうだったが、彼女は本来お喋り好きな性格のようだ。

「私ねぇ、今年上の彼女がいるんだよぉ」

「え、女の人と付き合ってるの?」

 同窓会には、男子は全員欠席していた。まるで最初からクラスメイトでもなんでもなかったかのようで、少しだけ不気味に感じたりもした。マチコちゃんなら、そういうところに目を向けるのかと思ったけど、まるで意に介していないようだ。

「お金持ってる人でね、いろいろ買ってもらっちゃってるの」

「じゃあ、中学のときの人はどうなったの?」

「学校が別になっちゃうとどうしてもね、会わなくなってきて、そのまま疎遠になって別れちゃったよ。でも、今もときどき電話したりしてるよ。よく話聞いてくれるし、いいお友達だよ」

「そうなんだ。今は男の人ってどうなの?」

「ん? なんだろなぁ……」

 サバサバした口調で話しをしているマチコちゃんは、本当に変わってしまったように思える。考え込むときに俯いた目元に、かすかに昔の面影があるけれど、上手な化粧はそれすらも隠してしまおうとする。

「昔みたいにカッコいい人はカッコいいって思えるんだけど、なんだか付き合うって感じではないかな。やっぱどんなに仲良くなってもお友達? って感じかな」

 やっと運ばれてきたビールを、マチコちゃんは乾杯の合図と同時に半分ほど飲みほしてしまう。私は考える。男って地球上に存在するお友達的存在なのか。お友達なら、そうだよ、手を差し出して困ったときは助けてあげなくちゃいけないんだ。
 男子がいないことに、何一つ疑問を感じていない様子の同級生たちを見るにつけ、このままではマズいんじゃないかという思いに駆られる。このまま地球に男がいなくなってしまったら、きっと爛熟した人類はそのまま腐って終わりを迎えるまでの季節を寒々しく過ごしてしまうのではないだろうか。友達のいない人生が豊かになりえないのと同じだ。
 私は男子を好きになることはなかったし、女の子のことも真剣に好きになれない。きっと、この先私みたいなのが増えて、それが原因でヒトというのは絶滅してしまうのではないだろうか。これは予想ではない、予感だ。


~了~